2014年11月22日(土)
全国の拳正会空手道連盟の門下生が一同に集結し、大東市立体育館において、第40回拳正会全国空手道選手権大会が開催されました。
今年は台風の影響により、8月から11月へと開催が延期しました。
開会式では、大会宣言、会長挨拶、ご来賓の方々のお祝辞等を頂き、昨年の各部門優勝者より優勝旗が返還され、次に代表選手による堂々とした選手宣誓、選手全員で基本動作を行い、滞りなく開会式が終了しました。
演武
拳正会空手道連盟では空手道と共に沖縄伝承の武器術として、棒(棍)・釵・ヌンチャク・トンファー・鎌・鉄甲などの古武道や、日本古傳の刀法や古流柔術、短刀取りなどの護身術も初代宗家流祖、田中天心先生より伝承されており今年の40周年記念大会では各師範が演武を披露されました。
各武器を使った型ではそれぞれの武器の特徴をいかした技法や攻防法・などが含まれており基本的な受け方、打ち方、突き方などから応用技としての連続技や返し技などの技法が型の中に表現されています。
また、一般社団法人大日本武徳会 裏念流刀法 拳刀会による招待演武では、平野会長を筆頭に各師範による見応えのある試斬や型演武を披露しました。
40周年を記念して2代目宗家、会長、首席師範にインタビューしました。
名誉会長 二代目宗家 田中天心
幼少の頃はすぐ風邪をひくような子供で、病気がちだったことが空手を習うきっかけでした。
本格的に始めたのは、中学生になってからです。
辛かった昔の思い出と言えば、殴られ続けたこと。
間違えたり失敗した時や、手を抜いた時には物が飛んで来ることもありました。
だから教えてもらう時は、先生の周りに危ないものを置かないということが鉄則でした(笑)
師弟関係でありながら、実の兄弟ということで、子供の私には、その切り替えが難しかったのを覚えています。
空手着を着ている時や、空手関係の方がいらっしゃる時は師弟、お風呂やご飯を食べているときは兄弟という使い分けは、初めはなかなか判りませんでした。
空手を始めた頃は、強くなりたい一心で、人の三倍は練習しました。
月水金は自分のところの道場、火水木は別の道場、日曜は個人レッスンという感じで、深夜2時くらいまで夢中になって練習したこともありましたね。
僕らの時代は、今のように体育館ではなく神社の境内や幼稚園の敷地を借りて練習していました。
今では教えられない危険な技もいろいろありましたね。
空手は、自分の体の筋力ひとつで出来るところが利点です。
自分の体の能力を平均的にどう活かせば良いのかという学びになるので、健康法としても年齢に応じた練習が出来ます。
身一つで出来るので、少々のスペースさえあればどこでも気軽に出来るのです。
また、体力面だけでなく心を鍛えることも当然出来ます。
「負けたらだめ。後ろへ下がるな。逃げるな」ということを空手の練習で教わります。
それが実生活の中でも実践できれば、社会人として様々な場面を乗り越えて行けます。
子どもたちにはまず「健康であってほしい」、そして「負けない心を持ってほしい」と思います。
師範へのエールとしては「師範になれば勝つ必要はないけど、負けないようにしてほしい」
それがすべてです。
師範になるまではあくまで空手の入り口であって、師範になってから色々なことを覚えてほしいです。
拳正会の良いところを次の世代への担い手となって残して行って欲しいと思います。
空手は頭で分かっているだけではだめ、理論を分かっているだけでもだめ、自分の身に付けて初めて出来たと言えます。
頭、理論、体ができるだけひとつになって成長していってもらいたいですね。
僕らの時代とは、練習方法や考え方、生徒の年齢層も違うけど、僕らが習って来た良いものを次の世代に伝えていくというのが、僕の仕事だと思っています。
時代に合わせながら、拳正会では競技化していない武術的な要素も残していきたいです。
会長 山川拳正
兄を見習って空手を始めました。
当時私は、10歳くらいで、一番上の兄がすぐに黒帯を取ったのを見て『空手って楽勝だな』と思い、道場に入りました。
兄が空手で強かったので、弟の私は、兄の後輩たちから毎日集中攻撃でいじめられました。
それがすごく悔しかったです。
それで「絶対に強くなって兄の後輩に仕返ししてやる」という思いで、練習を頑張りました。
三年ほどで先輩に勝てるほど強くなって、天狗になっている時に、初めて田中先生(拳正会 創始者)に出会いました。
兄を教えていた田中先生に「弟が生意気だから一回本気で怒ってやって下さい」と頼んだようでした。
組手で顔が二倍に膨れるくらいボコボコにされました。
それから半年は怖くて道場に行けなかったけど、勇気を振り絞って行ってみると「よう来たな!」と言って迎えてくれました。
その頃の生徒50人くらいの中、私が一番怒られました。
でも、人の10倍怒られたけど、人の20倍は可愛がってもらいました。
私は21歳で現役を引退し、師範になりました。
現役時代は負けたら先生に怒られるというプレッシャーで大会に出て優勝していましたが、引退して追われるものがなくなると綺麗な上手い組手が出来るようになりました。
それから先生には何も言われなくなりましたが、2年間ほどは「道場破り」に連れて行ってもらい、どんどん勝ち続けました。
それを見て先生は、私ならやって行ってくれるだろうと会長に推薦して頂いたのだと思います。
昔と今の子供では厳しさの度合い全然違いますね。
昔は空手の辛さ、勝った時の嬉しさを教えるために練習させていました。
でも今の子供は、厳しくし過ぎたらついて来ない、優しすぎると人をなめる。
難しいけど今は、子供の目線に自分も座って、手を握って、「先生の言ってることわかる?」というところからスタートしています。
そして、生徒が大会で負けたら、生徒も泣くけど自分も泣けます。
嘘偽りなく『この子と繋がってる』というのが私のスタイルです。
昔の私を知っている指導者たちは、今の会長は見たくないって言いますけど(笑)
素質がある子は見ただけで100%分かります。
最初から身体能力が違います。
ただその子を強くしようと思うと、指導者、生徒、保護者の3つが整わないと、今はなかなかスーパースターにはなれません。
一般的に保護者は、怒る時に加減をしたり、試合でも贔屓をしてしまいます。
本当にダメなものはダメ、出来たら力いっぱい褒めるということが、指導者も保護者も大事。
最近では本気で怒ることができない保護者が多くなっています。
怒れないことがあったら、私が怒りに行きますから、何かあったらとりあえず私に言ってほしいですね。
これから先何十年も、私の技だけでなく、先代先生のこと、武術、伝統を、一人でも多くの生徒に伝え引き継いで行ってもらいたい、というのが若手の師範方へのメッセージです。
主席師範 荒木 博
空手を始めたきっかけは、52年前に少林寺流の師匠に空手を教えてもらったことでした。
ある日、田中先代宗家が突然やって来て、内弟子みたいな感じで田中先代宗家の家に行くようになりました。
田中先代宗家に前の少林寺流に来てもらうようになり、一緒に活動していく内に、新しく支部を作ることになったといういきさつが拳正会の始まりです。
その「拳正会」という名称も田中先代宗家と私と二人で考えました。
前に一緒に活動していた仲間たちを引っ張り込み、40年前に拳正会を立ち上げました。
思い返せば、空手をしていて辛かったと思うようなことはひとつもありません。
教えていただくことに喜びを感じるので、他人は辛いと思うかもしれないけど、僕は喜んでいました。
昔と今の門下生に大きな違いを感じませんが、昔は大人の門下生の方が多かったものです。
門下生の子供さんの場合は、昔も今も一生懸命やってくれています。
新しく入門して来る子供さんを見ると、素質があるなと思う子は、立ち方や姿勢、型の動きの1つですぐ分かります。
上手になる子だなとか、ちょっと努力しないとだめだなとかは、反射的に分かる。
でも努力しないとだめな子もちゃんと教えれば上手になります。
子供達との交流の中で、心に残っているエピソードは、毎年お正月に20人くらい門下生たちが挨拶に来てくれてたことですね。
お年玉を皆にあげると喜んでくれて。
上手な子でも下手な子でも絶対に区別はしません。
旅行に行っても同じお土産を揃えますね。
上手な子は上手な子、下手な子は下手な子なりに、分け隔てなく教えてあげるというのが大切だと思います。
門下生の中には、学校で授業が終わったら、担任の先生に大きな声で「ありがとうございました!」と言える子もいます。
最初は空手で教えました。
「空手の練習が終わったら先生にありがとうございましたっていうやろ?そしたら学校でも先生に言うのが良いんじゃないか?」と。
担任の先生もびっくりしたそうです。
そんなエピソードを聞くと嬉しいなあと思います。
「ありがとうの精神」をちゃんとやってくれてるなぁと。
本当は空手なんて強くなくてもいい。
ハート、つまり精神が強いということが大事なんです。
大きな声でものが言える子、挨拶ができる子になって欲しいです。
僕の指導方針は、空手の技を教えるよりも、心を教えることを大事にしています。
教えたことを生徒が実践しているのを見た時に、ものすごく喜びを感じます。
生徒たちも喜びを感じていると思いますね。
若手の先生方には、もっと基本をしっかりやってほしいと伝えたい。
空手の心を疎かにして技を教えるのではなく、心を中心に教えてほしいです。
毎年大会を支えるスタッフさん、いつもありがとうございます。